選手インタビュー

鈴木大地さんインタビュー

鈴木大地さん 鈴木大地さん 競泳 1984年 ロサンゼルス,1988年 ソウル

(文:田坂友暁、写真:フォート・キシモト)

情報がなかったロサンゼルス大会でソウル大会につながる経験を得た

鈴木大地さん

今振り返ってみると、私がはじめてオリンピックに出場した1984年のロサンゼルス大会は、難しい大会でしたね。前回大会となる1980年のモスクワ大会に日本は不参加でしたから、前々回の1976年のモントリオール大会に出場された方々は10年近く前の話になってしまうので、当然私よりもひとつふたつ世代が違っていました。ですから、ロサンゼルス大会の競泳チームの中に、オリンピックを経験した選手がひとりもいなかったんです。要するに、オリンピック独特の雰囲気を誰も経験していなかったわけで、情報はほぼありません。みんな初出場で、ものすごく緊張していました。チームとしての雰囲気というか空気がとてもじゃないですけど、実力を出し切れるような状態ではなくなってしまったんです。

当時、競泳チームのレベルは、決して低くありませんでした。ひとりやふたりはメダルを獲ってもおかしくない実力は持っていたのに、それができない雰囲気になってしまったのはもったいなかったな、と感じますね。

自分もそうでした。はじめてのオリンピックで、もう気持ちはいっぱい一杯。ただレースをこなすだけでした。もちろん上位に食い込みたい、という目標はありましたけど、リレーで決勝に進出するのが精一杯でした。

でもそこで最大限のことを学ばせていただけたおかげで、次のソウル大会はすべてが違いました。自分なりに大きな目標を掲げていましたし、自信もありました。なによりオリンピックというのがどういう大会なのか、何が独特で、どういう雰囲気なのかが分かっていましたから、自分の実力を出すためにはどうすればよいかを冷静に捉えることができていました。

私が現役選手の頃は、オリンピックは2大会に出場できれば多いほうで、ほとんどの選手は1大会のみ出場となることが多かった時代です。そんな中で、私は2回も出場させてもらってとても濃い競技人生だったと思うんですよね。

人生で一度か二度しかないオリンピックのメダルを目指すわけですから、言葉だけでなく、命を懸ける気持ちで練習してきました。一生でこんなに激しい練習をするのは最後だ、という思いで、毎日の練習は本当に死に物狂いで取組みました。そのくらいの気持ちで毎日、1年、数年トレーニングを続ければ、それなりの結果は出ると信じています。

大学教員を務めていた時、スポーツ史を担当しており、水泳の昔の資料を調べることになったんです。そのとき、過去のオリンピックでメダルを獲得した選手が何とコメントをしていたかというと、だいたい同じ言葉が出てくるんです。

「やっとこれで国に帰れる」

当時は社会情勢として国と国との対立が激しい時代でしたから、海外の選手たちと相まみえるときは死ぬ気で勝たなければならない、という気持ちが強かったのかもしれません。

私のときはもうそれほど激動の時代ではありませんでしたが、そういう記事は選手時代に目にしていましたから、それでも死ぬ気で勝つ、という気持ちを持って臨むのが当たり前だと思っていた節はあります。ソウル大会のときは、それこそレースが終わったらそのまま死んじゃうくらいの気持ちで、すべてやり尽くして、タッチした瞬間に死んでも悔いがのこらないようにする。そんな思いで泳いでいました。

共に上を目指してくれた信頼できる師匠に助けられた

言葉の表現が難しいんですが、自分の人生において重要な選択を迫られたときは、常に梯子を外して逃げ道をなくしてやってきたというか、常に背水の陣で泳いできました。無意識かどうかは分からないけど、自分を追い込むような状況を選択してきたのかな、と。

ロサンゼルス大会に出場できるかどうか、というときもそうでした。高校生だったこともあり、当時は間に合わないと思っていましたし、ソウル大会に出られれば良いかな、くらいに思っていました。でも、実際に出場することができると、今度は人間欲が出るんですね。ロサンゼルス大会で思うような結果が残せなかったら、次はもっと上を目指したいと。1回出場して、また次も出場するだけだったら。人間進歩がないわけですよ。だから欲張りになってしまいますし、そうでなければいけないと思うんです。

その時、師匠である鈴木陽二コーチも同じように感じて上を一緒に目指してくれました。自分ひとりだったら、メダルを獲るなんて大胆な発想はできなかったと思います。でも、そういう目標を一緒に立て、私の意志を信じてくれて、常にぶれずに自分に必要な目標を定めて発破をかけてくれたことが、本当にありがたいことでした。

自分の活躍によって現場の意識が変わった

北京大会のとき、オーストラリアの競泳チームのオリンピック代表選考会に行く機会をいただきました。そのとき、ジョン・コンラッズさん(1960年ローマ大会1500m自由形金メダリスト)とドン・フレイザーさん(1956年、1960年、1964年のメルボルン・ローマ・東京大会で女子100m自由形3連覇)がおられて、お話しする機会がありました。彼らが私のことを知ってくれていて、「あなたの金メダルから日本の水泳が変わった」とおっしゃってくれました。私の金メダルから、本当に水泳界の何かが変わったかどうかは、次世代の人たちが評価することだと思いますが、海外の方からそう言ってもらえることはうれしかったです。

もし何かが変わったのであれば、それは『自分たちにもできるんじゃないか』という選手やコーチの意識ではないかと思います。

金メダリストといっても、私はアスリートとして、そんなに背が高いほうでも、筋骨隆々というわけでもありません。本当に、近所にいる「兄ちゃん」、みたいな感じです。そんな、スーパーマンでもなんでもない、近所にいるような「兄ちゃん」が金メダルを獲れるなら、俺もやればできるんじゃないか、って思った人もたくさんいるのでないでしょうか。そういう『あいつにできたなら自分もできる』という意識は、とても大切だと思います。

前例ができた、ということも良いことだったと思います。当時、競泳は金メダルをたくさん獲っていたのは過去とされていましたし、世界とは大きく水をあけられたとされていた時代ですから、そんなときに金メダルを獲るといっても、心から信じてくれる人なんてひと握りです。現実に、当時は頑張っても誰ひとり達成できなかったわけですから。

誰もやったことがないことに挑戦するとき、やればできる、と言っても心のどこかに「本当かな? できるのかな? 大丈夫かな?」という不安は生まれてしまいますし、それは当然だと思います。ですが、やればできるを体現した人間がひとりでもいれば、その言葉のリアリティが変わりますよね。

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