選手インタビュー

>小野清子さん 小野清子,体操,1960年ローマ,1964年東京

【国会議員として】

元川:1986年、参議院議員に初当選をし、2007年の政界引退までスポーツ・文化関係の要職に就き、貢献し続けました。アスリートだった時期よりもこの18年間は長いですよね。

小野:「私が議員になって何するの」と、最初は正直思いました。そこで気づいたのが、代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターの老朽化です。当時、そこには中国残留孤児の皆さんが宿泊していたのですが、壁に寄り掛かると窓枠が落ちてしまうなど本当に危険な状態に陥っていました。そんな時、日本の戦後政策に率先して取り組まれていた末次一郎さんから「議員になって法律を作ればいい」と助言され、「確かにそうだな」と感じ、出馬を決意しました。選挙では、みなさんから67万441票いただいて当選。理事しか発言ができないとされていた文教委員会で思い切って5分だけ発言させてもらったところ、文部大臣だった塩川正十郎さんが「ようござんす」と(笑)。そこから改築が始まりました。
次の選挙では落選してしまいましたが、その後、「軍恩蓮全国連合会(軍恩連)」の代表として選挙に出てくれないかという話がありました。迷いましたが、戦争から引き揚げてこられた方や、未亡人の方の苦労を聞いて、自分がやらないわけにはいかないなという気持ちになりました。
私の人生はいつも「他動説」なんです。やらなくてはいけないことが目の前に出てきて、それをできるかどうか分からないけど、とにかく一生懸命やってみようという気持ちになって。人のために何かをやれるなら怖くない。そう思ってここまでやってきました。

元川:政界引退後も、さまざまな場面で大活躍していますね。

小野:スポーツ振興くじの売り上げが次第に下がってしまい「あなたが作ったものなのだから責任を取ってください」と文部科学省の当時の担当者(銭谷眞美事務次官)から言われて、(独)日本スポーツ振興センターの理事長に就任しました。就任後、10年のスパンで赤字を黒字にしようと計画していたスポーツ振興くじを1年で黒字に転換させました。そして、今は(公財)笹川スポーツ財団の理事長として、スポーツ分野のシンクタンクとして、日本の将来像を見据えながら「国や地方自治体への政策提言」、「スポーツ振興機関への企画提案」を行っています。また、力を入れているのは1日15分間の運動で同規模の市町村のスポーツ参加率を競わせる「チャレンジデー」の普及・推進等の活動です。健康であることは「心身ともにさびしくない人生」を送れるということ。人は人にもまれて人になる。仲間と話せて笑いあえて初めて幸せになれます。その一歩として、1日15分の運動からスタートすればいいのです。自分がこのような活動をしているのも、1964年の東京オリンピックに出たからです。あの時の経験がなければ、今の自分はなかったと思います。

~小野清子さん インタビュー 完~
(インタビュアー:スポーツライター 元川悦子)
小野清子さん
小野 清子(おの きよこ)
1936年宮城県岩沼市生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)卒業後、慶応義塾大学体育研究所に所属。1960年ローマ大会、1964年東京大会の2大会連続オリンピックに出場し、東京大会では女子体操団体で銅メダルを獲得。引退後は参議院議員などを務め、「サッカー法」成立に尽力。2008年に旭日大綬章受章。
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