選手インタビュー

森田淳悟さん 中田久美さん 森田淳悟さん バレーボール 1968年メキシコシティ 1972年 ミュンヘン 中田久美さん バレーボール 1984年ロサンゼルス 1988年ソウル 1992年バルセロナ

【バレーボールを巡る変化】

広報スタッフ:今の現役世代と比べると、いろんな環境が変わってきていると思います。バレーボール自体は、ルールの変化などで変わったところはあるんでしょうか。

森田:僕らの時と比べると、バレーボールが速くなってるね。すごくスピーディになってきてる。僕らの時は、点を取る時には「オープンに上げておけ」っていう感じのバレーボールだったけれども、今はそんなことやったら、ブロックの技術も僕らの時より発達しているし、そういう意味では速さがないと今のバレーボールには対応できないという感じだね。

中田:そうですね…でも女子は、男子のパワー系のバレーボールになってる気がします。速攻にしても、男子のようなタイミングですよね。例えば元全日本の三橋栄三郎さんのクイックと、今の選手のクイックって違いますよね?

森田:うん、違うね。三橋のクイックっていうのは本当に速いんだよ。スイング自体も非常に手首を使う。逆に、今のクイックっていうのは遅いから、その辺の速さ遅さで言えば昔のほうが速い。僕も、ボールが上がってくる最中に飛んで打ってたから、一人時間差っていうのができたのね。「森田クイックは速い」ということでタイミングを速くしてブロックが飛ぶようになった。それを利用して、ひと呼吸置いて打つ「一人時間差」っていうのができた。

中田:そうなんですね。あとは、ラリーポイントになってミスの少ないところを追求することを考えると、二段トスを打てる選手がいるチームが強いのかな。

森田:それはあるね。すごくプレーが分業化しちゃってるんだよ。クイック打つ者はクイック、両サイドのエースはバックアタックとか。そこに、センターでも二段トスをしっかり打てるようなエースがいないから、いつも二段トスはレフトに持っていく。そういう面で、我々の頃は誰でもクイックを打てたし、誰でも二段トスを打ってた。だからレシーブの話もそうだけど、リベロがいなかったからクイックの僕がサーブレシーブを兼ねたし、スパイクに関しては、誰が二段トスを打つとかクイック打つとかってことは決めていなかった。その場その場で意思表示したっていうか、それが当たり前だった。女子でもそうだよね、白井貴子だってクイックも打てたし、江上由美だってオープン攻撃を打ってたし。

中田:そうですね。あとは、サーブがいいチームはやっぱり強いですね。

森田:1点がものすごくシビアになったよね。サーブ権があった旧ルールの時は、試合を通してのストーリーが描けた。サーブ権がある時には、例えばクイックが2~3本つかまってもいい、あとの大事なところで時間差攻撃を使うために、クイックでいわゆる"エサ"をまいておいてもいいやっていうような作戦が、恐らくセッターは考えることができたよね。

中田:はい。

森田:今のラリーポイントだと、そんなことやってられない。いきなり4-0とか5-0とか先行されたら、非常に苦しくなってしまう。

中田:だから、駆け引きはできないですよね。確実性を最初から求めていかなきゃならないので、セッターの立場からすると考えている暇がないし、組み立て方は非常に難しいと思います。当たってる選手ばかりにトスを持っていくと、相手も当然読んでますからね。そのへんをどういうふうに組み換えていくのかっていうのは、ラリーポイント制ではすごく難しいと思います。

森田:逆転劇も少なくなっちゃったし、一言で言うと非常に忙しいバレーになったかな。でも、その時その時にチャンピオンになったチームのバレーが、やはり継続してきていると思う。男子バレーっていうのは、ミュンヘン前まではそれぞれの国々の民族性に基づいた大きなバレーがあってね。チェコは非常にプライドの高い国だからテクニックで、ルーマニアが力とコンビネーションとを混ぜ合わせたようなチーム、日本は力のないチームだから、6人の組織のコンビネーションとか。それでミュンヘンの時に優勝したものだから、これからのバレーはこうじゃなきゃいけないっていうことで、世界の各国がだんだん日本のバレーを取り入れていったよね。だから、女子がパワー系になってきたっていうのは、一番明らかなのはキューバだよね。あそこからパワーのバレーの流れが来たと、僕は思う。

中田:そうですね、その通りだと思います。でも、パワーにプラスして、日本は何かを付け加えないとダメなんですよね。

森田:そうだよね。だからパワーと、どうだろう、レシーブ力は中田さんたちの頃と比べたら今のチームだと…同等かな?

中田:今の男子も女子も、攻撃力は私たちなんかの時代より全然ありますよね、高さもあるし、運動能力も多分いいと思うんですよ。でもその攻撃力を生かすためには、やっぱりディフェンスが大事だと思うんですね。サーブレシーブの返球率とか、ただ返すだけじゃなくて、どれだけセッターに正確にもっていけるかっていうこだわりを持ってやってもらいたいなと思います。私たちは、「点に持っていきなさい」って言われてたんですね。チャンスボールはセッターの一番トスを上げやすいポイントに持ってこないと、コンビネーションはできないって。

森田:その辺は男子もそうだけど、一つひとつの緻密さというようなものはちょっと不足してるかもしれないね。

中田:私たちの時は緻密じゃないとコンビネーションが使えなかったし、コンビネーションを出せないと勝てないってわかってたので…コンビネーションパターンは100種類くらいあったんですよ。それを使うためには、"点"でポイントに持ってきてもらわないとできなかった。ここで勝ち、ここで負け(10cm差を手で示す)っていう世界です。

森田:あとは、今は集中力の持続性に乏しいね。練習の種目種目を、20分この練習をやったら次の20分はこれをやるとか、時間制でやっている影響もあるのかな。25点っていうルールになって、1セットが20分そこそこで終わっちゃうからだと思うんだけれども、中には昔流の、例えば歯を食いしばって延々とやる練習方法も取り入れなきゃいけないと思う。世界的なキャリアが少ないからもっともっと世界に出ていって、武者修行を兼ねた対外試合を組むことも必要だと思うね。今は、何かの大会に行ってもすぐに帰ってくることばかりでしょ。これでは忍耐強くならない。人間っていうのは、生活を通して忍耐強さがつくから、長期遠征で不自由なところで生活するのもいろんな効果があると思う。

中田:言われてみればありましたね、2ヶ月行きっぱなしとか。

森田:「頑張ろうぜ」とか「我慢しようぜ」とか口先で言っても、実際に体験してみないとできない。今は、世界中どこへ行ってもおいしい日本食を食べられるし、不自由しないから昔とは違うけれど、遠征を組むっていうことはできるからね。さもなければ、どこかに拠点を置いてそこで1ヶ月2ヶ月過ごして強化したら、すごい力がつくだろうね。

中田:それはいいアイディアですね。

広報スタッフ:ところで、森田さんの場合には「一人時間差」という、サインを書いていただく時にもキャッチフレーズになるような技がありますが、中田さんの場合は何かありますか?

中田:何もございません(笑)。でも昔、オーバーパスって、ここ(おでこの前)で取りなさいって言われてたんですね。でも私が初めてなんですよ、ここ(おでこよりも高い位置)で取り始めたのは。知ってます?森田さん。オーバーパスってみんなおでこの前で取りなさいって私も山田先生に言われたんですけど、今は世界でもみんな位置が高いじゃないですか、あれは私が初めてなんですよ。

森田:ああ、そう!へぇ…。

中田:ちょっと自慢(笑)。あのブラジルのセッターの、“ゴッドハンド”と言われたマウリシオが私のトスの上げ方を見て、彼が真似したんですよ。それで、世界の男子バレーのセッターもみんな高い位置で取るようになったんです。でも、それは色紙に書けないんですよね、長過ぎちゃって(笑)。

広報スタッフ:セッターの醍醐味というのはどういうところにありますか?“天才セッター”と言われた中田さんですが、バレーを始めた当初からセッターだったのですか?

中田:アタッカーを自分の思った通りに動かせる。それによって相手との駆け引きができる。それが当たった時はやはり、すごく面白いというか、非常に充実感を感じますね。でも負けるとセッターのせいなので(笑)。私、15歳で全日本に入った時にはアタッカーで入ったんです。だから、セッターをやり始めたのは16歳からなんです。ある日突然、山田先生が「お前、明日からセッターやれ」と。納得いかなかったですね(笑)。セッターって、トスを上げるっていうことはわかったんですけど、組み立てとか全然わからないじゃないですか。最初は相当苦労しましたけど、(江上)由美さんとかが上級生だったので、「久美の思った通りに上げていいから」って言ってくださって、山田先生も我慢して使い続けてくれて。その時、日立のチームが強かったので、勝つことが自信につながりましたね。だからすごく恵まれていたと思います。

森田:その頃の女子バレーを見ててね、中田のトスからバレーが速くなったと思う。

中田:本当ですか? それは練習の時に、体育館でネットのアンテナより少し高いところに、ゴムを全部張り巡らせてゲームをしていたんですよ。だから自然と、サーブも低くなるしスパイクレシーブも速くなる。そのゴムに当たるとダメなので、二段トスも速くなる。そういう練習をずっとしてたんです。猫背になるくらいでした(笑)。とにかく、「速く、速く」という感じで練習してましたね。

森田:銀行に入った強盗が、赤外線をかいくぐっていくような感じだな(笑)。

中田:そうです(笑)。それで紅白戦やったり、男子相手に練習したりして、意識を、とにかくセッターにもっていくというより速いパスを出す、速いトスを上げる、速いコンビネーションをするっていう意識を、そういう練習でやってきましたね。

森田:なるほど…練習の工夫だね。山田先生がセッターにしようと思われた理由は、何か聞いたことはある?

中田:私、両利きなんですよ。セッターってサウスポーの方が有利じゃないですか。だからそれが一つと、あとは負けず嫌いが、表に出ることかな(笑)。それから、モントリオールオリンピックの時にコマネチが金メダルを取りましたよね。その時コマネチが14歳で、日本の女子バレーもこれから世界と互角に戦っていくためには、英才教育をしていかなければならないということで、山田先生が少女バレー塾を作ったんですね。その中で、やはりセッターを大型化しなければならないということで、それにたまたま私が当てはまったみたいです。

森田:山田先生の、セッターとしての眼鏡に叶ったのかな。

中田:叶ったかどうかわかりませんけど(笑)。でも、アタッカーだったら多分、オリンピックに3回も行ってないでしょうね。

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