選手インタビュー

猪谷千春さんインタビュー

猪谷千春さん 猪谷千春さん スキー(アルペン)1952年オスロ 1956年コルチナ・ダンペッツォ 1960年スコーバレー

【2:3度のオリンピック ~ 何のために戦う?】
最初のオリンピック:オスロオリンピック

高橋:その点について、今猪谷さんがおっしゃってくださったことを伺いたいと思っていたんです。猪谷さんは3度オリンピックに出場されていますよね。その3つのオリンピックに出た時のご経験、自分の中の意識の変化について伺いたいと思います。最初に出られたのが1952年のオスロオリンピック。この時はまだ占領下ですよね。

猪谷:いやいやいや、1952年は終戦後2度目のオリンピック。第1回は1948年だから。1945年に戦争が終わって、そして48年が第1回目のオリンピックで、そして49年か、50年になって日本がオリンピックに復帰できるようになって、そして最初のオリンピックだったわけですね。

高橋:戦後初めて日本が世界の許しを得て参加できたオリンピックっていうことですよね。

猪谷:そうそう。

高橋:やはりそういった時代のオリンピックっていうのは、実際に出場されて、その時に、何を考えてというか、何のために戦ったのでしょうか?つまり意識として日本の国家というものを背負って出られた、そこで日本というのは敗戦国になるわけですがそういう意識があったのか、あるいはまだ、高校3年生ということで、それよりもむしろこのオリンピック自体が参加することに意義があったということなので、自分のスキーがどこまで通用するのかという、もう少し素朴なと言うか、スキーヤーとしての意識であったのか、その辺を伺いたいのですが…。

猪谷:ま、スキーヤーの意識じゃなくて競技者の意識だろうね。やっぱり我々は、今でこそ、そのオリンピックというのは平和の祭典であってね、そういうものに参加して、そして各国の選手たちと仲良くなることによって世界に平和構築の基礎になろうという気持ちがある選手が何人いるか知らないけれど、恐らく無いと思うよね。みんな勝つことに意識が向いていてね。僕もご他聞に漏れず今でこそオリンピックは世界平和のためにとかって言っているけれども、やっぱり選手の場合にはどっちかと言うと勝とうという意識が必要なんでしょうね。それからやっぱり競技の世界だから参加することに意義がある、それはカッコイイ発言かもしれないけどね。じゃ、参加することに意義があるのと同時にやっぱり勝ちに行かなければいけない。だから、今の、ね、日本の場合はそうじゃないけれども、参加することに意義がある、それだったらドーピングなんかするなっていうことですよね。やっぱり勝ちに拘っているから結局ドーピングなんかも形振り構わず勝ちに行くというね。これはもうまた後でチャンスがあったら言うけれども、僕が今一番悩んでいるのはエリートの選手の間からフェアプレーとかスポーツマンシップの、そういう根本的な精神が薄れつつあるからね。これは子どもたちにとって非常に悪影響を与えていることだよね。スポーツ選手っていうのはルールをきちっと守って、スポーツマンシップに則った、ま、人間社会ではそういう人達が必要なわけなんだよね。スポーツ選手がその鏡として、そして子どもたちの手本になるというね。それから、手本にされるべく、べき人達だったんだけどね。もうそういう人達がルールを破って、ドーピングをやったり、暴力を振るったり、環境に対してね。これはもう本当にあってはならないことでね。…

高橋:勝ちに拘るというのは、今の状況を考えると1つに商業主義というのが大きくあるんでしょうかね?

猪谷:今はそれを商業主義っていうかどうかね。やっぱり自己中心主義。つまり人を倒してでも自分が勝って、それを将来の財産に結び付けようというね。だから、まあ、それは商業主義っていうことにも結びついているのかも知れないけれども。僕はもう利己主義っていうかね、最近日本の若い人達は利己主義だって言ったけれども。そういうやっぱり雰囲気がエリート選手の中にも蔓延しているのかなということがあって。

高橋:プレッシャーはどうなんでしょう。勝たないとお国に帰れないというような。

猪谷:もうそういう時代じゃないでしょう。ううん。

高橋:その最初の頃はやっぱりありましたか?

猪谷:我々には無かったけれども。ただ、昔の東欧諸国にはあったんだろうね。やっぱり。まあ、だけど、本当はねこれの難しい所で、日本だってね本当はプレッシャーを感じて勝って欲しいんだよね。というのは派遣選手たち、そのかなりの部分、やっぱり税金を使って行っているわけだからね。だから、いわゆるオリンピックツーリストじゃ駄目なんですよね。

高橋:一般的に言われているのは、戦後のオリンピック、戦後間もなくのオリンピックの方が今よりも、国というものを背負って行った。今は日本という国というよりもむしろ先ほどおっしゃられた少し利己主義というか、自分のためというところがあるんじゃないかということがよく指摘されているんですが。

猪谷:ううん。だからそれも確かにあるでしょうね。だけどやっぱりもっと国を背負ってという気持ちを持ってもらってもいいんじゃないかな。その方が勝ちに繋がるんじゃないかな。というのは今もう参加できるようになっただけでもうみんな喜んじゃって、ね。そこで燃える尽きる人が多いんだよね。だけど、だからいいこともあり、悪いこともありだよね。やっぱりこれだけ国から、みんなから支援されているんだから遊びに行くんじゃなくてやっぱり、勝って来て、期待に応えるっていう、その気持ちは大事だと思うのね。だけどあんまりそればっかりやっていると今度は却って硬くなっちゃって、力がかかっちゃって…。

高橋:ああ、プレッシャーが強すぎて、ガチガチになって。

猪谷:これはあくまでも文化の違いで、この頃のまた、若い人達というけども、結構人前で自分の意見を言うようになったりするけれども、日本の文化っていうのは、言わないのが華だったわけよ。発言しないことがね。だから人前でその、こう、自分の意見を述べるっていうことは日本人は不得手、少なくとも団塊の世代ぐらいまではそうだったかも知れないけどね。だから、そうすると、その、競技や何かに出ても、なんていうのかなそういう雰囲気に呑まれるケースが多いんじゃないかな。僕なんか反対に火事場の馬鹿力ってね、皆が見ててくれると120%力が出るのよね。

高橋:そうなんですか。

猪谷:で、人が見てないと全然駄目だけれども。

オスロオリンピックの情報技術

高橋:この最初のオリンピックの時というのはご両親は日本にいらしたんですよね。

猪谷:そうですね。

高橋:で、情報と言うか連絡というのはどういう手段で。

猪谷:あの頃を知っているかどうか。海外に電話を掛けるとだいたい申し込んでから8時間か9時間ぐらいしないと通じない時代だったんだよね。

高橋:あ、そうなんですか。

猪谷:ううん。だから、その頃は選手、じゃなくて、選手団には監督はいたけれども、いろいろ世話係がいなかったからもう自分でね、電話取らなきゃいけないし、それから、朝、2時ごろ電話かかってきて、新聞社辺りからね。そして30分も話したら、後もう眠れなくなっちゃうんですよね、目が覚めてね。やっぱりそういうような修羅場を潜っては来てはいるんだけれども。やっぱり今の選手たちは本当に恵まれていますよね。

高橋:そうですね。今はもう本当に携帯電話もインターネットも何でもあるので。

猪谷:うん。それから後はテレビが無かったから、だからあの頃は短波のラジオ。もう、それこそ今の人達には分からないけれども。どういう世の中だったかね。

高橋:ほとんど日本の情報っていうのはオスロにいらっしゃった時っていうのは入って来ないですね。

猪谷:入って来ないね。

2度目のオリンピック:日本代表としての銀メダル

高橋:2度目は1956年にイタリアのコルチネオリンピックに行かれて。この時もう既にダートマス大学の大学生。

猪谷:3年生だったわけですね。

高橋:この時は祖国日本だけでなくて、アメリカの大学を挙げてオリンピックでの活躍を期待されていたということなんですが。先ほどお話を伺っていて疑問に思ったのはこのオリンピックに行かれた時というのは、日本の代表としてという意識とアメリカのダートマス大学の代表という、そういう両方の意識があるのかなと思ったんですが。

猪谷:いや、それはもう日本。

高橋:日本。

猪谷:あの時も面白いんだよね。あのう。ずうっと大学向うに行っていたもんだから、危なく日本チームに入れてもらえないところだったけども。あの頃とにかく全日本スキー連盟が猪谷、いくら海外で活躍しているかと言っても、日本の選手と実際に滑ったことがないんだから力量のほどは分からないと言って、選手団から外されたんだよね。そしたらまあ、関係者がいろいろ努力してくれて、そして、何とかスキーの代表ということになったんだけども。そんなことがあったから余計負けられなかったんですよね。

高橋:猪谷さんとしては本当に日本の代表として行くという意識が。

猪谷:そりゃそうだよ。

高橋:しっかりあったわけですよね。そして銀メダルを取られた。これは冬季大会で日本初のメダル。

猪谷:だから、意外と皆さん知らないんだけども、ヨーロッパ人以外で始めてだったんだよね。

高橋:あ、そうですか。

猪谷:男子のこの種目ではね。

高橋:ああ、すごい。本当に歴史的なメダルだったんですね。そして表彰台の上で日の丸を見ながら感動したっていうのは、やはり日本の記念すべき。

猪谷:そうそう。

高橋:だから日の丸を見て…。

猪谷:それだけじゃなくてやっぱり、それまでね、52年からね、優勝者が表彰台に上って、そして晴れがましく国旗を後ろに背負いながら表彰されているのを見て羨ましいなと思ってたから。

高橋:ああ、そうですか。

猪谷:うん。「俺だって」っていう…。

高橋:でも4年間ずうっとその、先ほど目標というお話をして頂きましたが、最初のオスロが終わってからずっと4年間はこのコルチネのオリンピックっていうのを目標にして頑張ってきたわけですからね。

猪谷:そうそう。メダリストを目標にしてね。

高橋:でも、同時に大学でのハードな勉強もされていらしたわけですから、本当にすごいですね。

猪谷:でも、それがあって却って良かったんです。

高橋:そうですか?

猪谷:頭を使うことを覚えたから。というのはトレーニングしている時間は極端に少なかったからね、結局勉強に追われててね。だからその少ない時間でどうやって最も効果のあるトレーニングができるかっていうことを考えなきゃいけないでしょ。ね。で、その頭を使うことを覚えたことがこのメダルに繋がったわけです。

高橋:だって講義をノートをとらずに全部覚えたっていうのは。

猪谷:そうそう。

高橋:私にはとても信じられないです。お勉強されてる時も姿勢を、静の姿勢でいかにトレーニングをするかっていうことをおやりになっていて。

猪谷:だから時間が無かったからもう。

高橋:これでよく勉強ができるなあって。

猪谷:全てトレーニングに結び付けたからね。だって「窮鼠猫を噛む」っていう言葉知っていますよね。

高橋:はい。

猪谷:それと同じよ。人間も追い詰められたら大体なことはできると思うね。

3度目のオリンピック:金メダルのために

高橋:さらにその4年後、1960年。アメリカのスコーバレーオリンピックに出場された。この時はもうアメリカのAIUの社員になっていらしたわけですよね。

猪谷:そう。

高橋:このときの意識というのは少し違うんじゃないんですか?そのオリンピックに出られた時の意識というのは。

猪谷:うん、その時はもう金メダルしかなかったからね。オールオアナッシングになったわけね。

高橋:そこに勝負をかけていくという。

猪谷:そうそう、もう。あのう、自分のペースを守ってやったらまた銀から銅が取れてたと思うのね。だけど頭はもう金しかなかったから。

高橋:何のために金メダルを取ろうと思われたんですか?

猪谷:結局つまんない発想で、世界選手権で銅をとっているのね。それからオリンピックで銀を取ってるから、あとは金しか残ってないわけよ。単純な発想で。だからこの時にはもっと国の為を思ってやれば銀か銅を取ってたのかもしれないけどね。だからある意味じゃ、self-centredで。やっちゃったのかもしれない。

高橋:いえいえ。そうするとこの時にはより、個人的なと言うと失礼ですけれども、金メダルイコール傷害保険というビジネスマンとしてのスタートとしての踏ん切りという意味も込めて、金メダルを取りたかったというようにお考えになっていたのですか?

猪谷:もうどうせこれが最後のオリンピックだしね。もう本当に56年で僕は引退したわけなんだけれども。

高橋:あ、そうなんですか。

猪谷:また、引っ張り出されて。こっちもちょっと金メダルを取ってないってよく言われたもんだから。

高橋:勝負をかけたわけですね。

猪谷:そうそう。

高橋:そしてこの後、スター氏が人生はどこかで転換を図らなければならないということをおっしゃって…今度は45歳で社長になるという目標を立てられたんですね。ここでその金メダルをお取りになれなかったことが、また違う次のステップへの大きなバネになったということになるんですか?

猪谷:いや、取っててもそうなっていた。

高橋:取っててもそうですか。あまりこっちが駄目だったから奮起して頑張るとか、そういうことではないんですか?

猪谷:じゃなくて、僕としてはそのスポーツというのは競技生活を終えたらば後は趣味でやったほうが楽しいだろうと思ったから、もう趣味に徹して。そして違う人生を歩むことに…。

高橋:ちょっと思ったのですが、小さい頃のロールモデルというのはお父様だったのかなと思ったんです。スキーをされていらっしゃるお父様が目標というか。

猪谷:それは無かったな。

高橋:そうですか。目標にされていらっしゃる方とかは?

猪谷:特に無かった。

高橋:無かったんですか。

猪谷:ううん。

高橋:その時にどうして全ての人生をスキーに掛けていくという選択は無かったのかなと思ったんですけど。

猪谷:その終わった後?

高橋:はい。

猪谷:ううん。だから、結局スキー始めてメダルまで行ったっていうのは親父のゲンコツが怖いから。

高橋:(笑)。それはご謙遜でしょう。

猪谷:いや、いや、本当に。

高橋:じゃ、お父様としてはもう良くやったと。

猪谷:いや、親父はやっぱりスキーの世界に踏みとどまって欲しかったらしいけどね。

高橋:でしょうね。たぶんそうだろうなと思います。

猪谷:こっちはね、世界を隅々まで見てきちゃってるから、その頃までにね。そうするとやっぱりスキーなんていうのは五万とあるいろんなものの中の1つにしか過ぎないというね。

高橋:やはり世界に出られてグローバルな猪谷さんになってしまったから。

猪谷:うーん。やっぱりスキーは趣味でやろう、続けようと。

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