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- オリンピアンインタビュー
- 第33回 小平奈緒さん
結城先生という存在
平昌でメダルを獲得した後で、メディアの人から、自分を表す言葉を三つ挙げてくださいと言われて、睡眠時間三時間の頭だったにも拘らず、瞬時に浮かんだのが、求道者、情熱、真摯でした。今考えても、まあまあいい選択だったと思います。三つそれぞれが微妙に反発するところもありますが、それはそれでいいかなと思っています。発見があるから情熱を注ぐことができますし、そこに何かがあるから求めようとしているのだろうと思います。
その発見や目的や何かをうまく引き出してくれるのが、結城先生という存在なのだと思っています。コーチといえば、スポーツだけを教えているようなイメージがありますが、結城先生は教育者として、また研究者として、そして指導者という顔をお持ちなので、それが私たちにとっては、人間を伸ばしてくれる要因になっているのかなと思います。信州大学教育学部に幸い2005年に入学でき、今もここにいますが(笑)、ここに来てよかったとつくづく思っています。
ほぼ毎日ここに来て、学生と一緒に練習しています。冬になれば、氷の上での練習をここから少し離れたところにあるエムウェーブ(長野五輪の屋内会場)でやります。ここでは、学生たちと手づくりしたウェイト場とかトレーニング場を使って練習をやっています。オンボロ屋敷で、毎年自分たちで用具を細々と買い揃えたり、絨毯を貼ったりしてやっています(笑)。こんなところからでもオリンピックで活躍する選手が出ることを証明できたので、環境が悪いことを言い訳にするような学生はここにはいません。
感覚を研ぎ澄ませる
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「奈緒の人生は神様がくれた時間。悔いのないように思う存分使いなさい」。オランダに行った時に父からもらったメールです。オリンピックでの結果だけを追いかけていた自分が小さく思えて、自分の人生の中で競技できる時間はほんの一部分、その後の人生の方が長いので、オリンピックで金メダルを取ること以上に、その後の人生を充実させていくことの方が、豊かに生きられるんじゃないかと今でも思っています。しかしメダリストになったことで世界が広がるということも確かにあると思うので、自分の可能性を広げてくれるきっかけになったとも思っています。
父とはそんなに連絡は取らないんですが、先日の父の日にはプレゼントをしました。その時は返事のメールが来て、最後の砦は守られた、とありました。三姉妹末っ子の私だけは覚えていたということなんです(笑)。
スピードスケートの500m、1000m、1500mは、陸上でいう中距離の持久力と短距離の瞬発力の両方を要求されます。朝起きた時に測る脈拍は36とかで、心臓が寝ボケてるんじゃないか、ちゃんと起きてくれと思ったりします。陸に上がった河童とかと言いますが、実は陸で走ると遅いんです。100mでも400、800mでも遅いんですよね。スケートのポジションでこそ生かせる身体になっているようです。足首が柔らか過ぎで、陸上走では大股になり過ぎ、足が流れるんです。空中でなかなか足が戻ってこないというようなことになるんです。自分では早く足を動かそうとしてはいるのですが動かないんです。スローモーションのようです(笑)。陸上が縦に足を運ぶのに対して、スケートはスケートという道具を介して横に押しているので、全然違います。陸上で速く走れる人を私は本当に尊敬しています。
そして今は競技人生の終盤だと思っているので、一番の目標は、感覚を研ぎ澄ませていきたいということです。ガムシャラにやる時期はとっくに過ぎていて、しかし成績に繋がり始めてからは二年くらいなので、それをもう少し加速させ続けたいと思っているんです。自分の身体づくりですとか、改造した身体の感覚がどう変わるかを細かく突き詰めていきたい、研ぎ澄ませていきたいと思っています。
スポーツを隅の隅まで楽しんで終わりたいと思うんです。それをやらずに後悔するということは避けたいと思っているんです。
言い訳にもならない理由で筆者は当日遅刻したのだが、テーブルにきちんと座って待っておられた小平さんの佇まいが鮮明に浮かぶ。背中を伸ばし、微笑を含む穏やかな表情で、正視されていた。時代を画すヒロインを前に、倍も生きていながら生き恥を晒した。気持ちを奮い立たせて、お話を伺ったが、話は一気に面白くなり、負い目は雲散霧消。拙問にも、そうですね、と一度受け入れてから徐ろに自論へ。その内容の新鮮さとリアリティと含蓄。そしてユーモアと笑い。自ずと文章中の(笑)は増える。
父上の要所要所での見事な言葉や結城コーチの「身体の知」の言語化に固執する指導が、元来宮沢賢治好きという小平さんの精神性や身体性をさらに大きく、強く、美しく成長させたのだろう。最後に筆者の感じた小平さんを表す言葉を三つ。寛大、聡明、高潔。
- 小平 奈緒(こだいら なお)
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1986年長野県生まれ。3歳でスケートを始め、小学5年時の長野五輪での清水宏保選手の活躍を目の当たりにし、益々のめり込む。中学2年で500mの中学記録更新。高校時代のインターハイでは500m、1000mの二冠達成。2005年
結城匡啓 コーチの指導を求めて、信州大学に進学。特訓と試行錯誤を重ね、各種大会で活躍。卒業後2009年松本市内の相澤病院に就職。同年の全日本スピードスケート距離別選手権500、1000、1500mで三冠。2010年のバンクーバーオリンピックでは団体パシュートで銀メダルを獲得。2014年ソチオリンピック500mで5位入賞。そして今年の平昌オリンピックで見事に500mで金メダル、1000mで銀メダルを獲得。不断の努力は尚続く。