選手インタビュー

冨田正一さん 冨田正一さん アイスホッケー 1960年スコーバレー

【育てられた環境の重要性】

広報スタッフ:ゴールキーパーの楽しさはどんなことですか?

冨田:ゴールキーパー以外の5人が攻めてきて、「これは絶対やられた」というピンチを自分が綺麗にぱすっと止めた時の快感。これはもう、やった者しか味わえないと思いますが、これが素晴らしいんです。観客もみんなが、うまいぞ、よくやったという反応を示してくれる時。今、不満があるのは、努力した選手が1万人の前で見てもらえる環境が日本にないんです。世界中どこにいっても、大都市には1万人以上入るアイスホッケー場がある。もちろん多目的ですが、世界選手権ができる施設がある。今、東京で世界選手権ができないんですよ。我々の頃は国立代々木競技場がありましたからそういう快感を味わえたけれども、今の若い人には東京にそういう場所がない。人間の力は、大勢の前だと普段できないようなことまでできる。だからスポーツというのは、選手たちが一生懸命やる、やりたいと思う環境があるということがとても大事だと思います。

広報スタッフ:それは本当に、日本の環境づくりの課題ですね。世界選手権のお話しが出ましたけれども、オリンピックではどのようなことを感じましたか。

冨田:1960年にスコーバレーオリンピック大会に出ましたが、その時はまだ国にお金が十分なくて、氷川丸で横浜からバンクーバーへ2週間かけて行って、そこから鉄道とバスでオンタリオ州まで約1か月、試合の訓練をしていったんです。

広報スタッフ:オリンピック大会の本番の前にですか。

冨田:ええ。これは大変で…試合が終わって寝台車に帰ると、夜中に走って次の都市へ着いてまた試合をしたということもありました。

広報スタッフ:学生の時に、一度オリンピック候補選手にお名前が出たということでしたが、オリンピックに出るということに対して何か意識はありましたか。

冨田:自分ではそこまで行けるとは思っていなかったんです。最初の合宿に参加するように言われた時にはゴールキーパーが4人呼ばれて、負けちゃならないと思いましたが、最後の合宿に参加するように言われた時は夢心地で、本当だろうかと思うくらい嬉しかった。

広報スタッフ:自分の視野にはなかったけれども、頑張ってきた中で日本代表選手まで辿り着いたという感じでしょうか。

冨田:そうですね。話していて思い出したのですが、やはり選手は育つ環境が必要だなと思う。それは、母親が非常に強くて、家族が叱咤激励といいますか、ケガをしても甘やかしてくれなかったのが、今考えると良かったのでしょう。選手になった時は両親がいろんなところに来てくれました。それを言わないんですが、観客席に座っているんです。

広報スタッフ:ご両親は冨田さんのファンでいらしたんですね。

冨田:そうだったんだと思います。今は二人とも他界して居りませんけれども、非常に両親には感謝しています。さっきお話ししたように、小学校の時は悪い子供だったんです。疎開先でいじめられたりして、先生や親をなぐっちゃうくらいひねくれちゃったわけです。その悪いエネルギーが、スポーツの方へいって役に立ったんだと思うんです。

広報スタッフ:ご両親も強い意思をお持ちだったんですね。

冨田:本当に強かった。今の若い親たちには、あまり焦ってちやほやしなくても人は自分で考えて決断して、自分で行動して育つから、子供には時間をあげなさいよって言いたいですね。自分はそうしてもらったので、今があるから。自信を持って子育てをすればいいと私は思います。スウェーデンの人から聞いたんですが、親は子に、社長は社員に、監督は選手に、やらせるんじゃなく、やりたいと思う環境を与えるのがトップの仕事だと。待ち切れないで子供に言ってしまうと、それは命令であって、エネルギーのある子供ほど命令には反発する。そういう親になってはいけないのだと言うんです。

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