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- オリンピアンインタビュー
- 第10回 中村佳央さん 中村行成さん 中村兼三さん
【両親に苦労をかけたくない一心で】
広報スタッフ:3人に同じことを習わせるという考え方がご両親にあったのでしょうか。
佳央:スポーツなら何でもよかったと思うんですよ。3人そろったら本当にやんちゃですから、例えば、外で遊べばガラスを割るわ、3人でザリガニを取りに行けば1人が池に落ちておぼれかけたとか…。家が商売していたので心配だったということもあるし、やんちゃなところをスポーツで発散させたいとか。両親がそういうことを考えたかどうかはわからないですけど、柔道は教育も兼ねているということで勧めたのだと思いますね。
広報スタッフ:子供の頃から遊びも一緒にされるような仲の良いご兄弟だったのですか。
佳央:はい。近くに公園がありましたから、3人でよく遊んでいましたね。けんかしても、次男は足が速いので捕まえ切れなくて、家に帰ってからボコボコに殴るとか(笑)。だいたい一番下の弟が次男にいじめられて、そのいじめたのを私がいじめ返すというような感じでしたから、三男と私はあまりけんかをしたことはないと思います。
広報スタッフ:なるほど。佳央さんのほうから、行成さん、兼三さんのお話が出たのですが、お互いにお互いのいいところを言ってください。行成さんからお兄さんを見ていて、柔道の面でも、人間的な面でもいいのですけれども、いかがですか。
行成:一言で言えば研究熱心と努力です。
広報スタッフ:兼三さんから見られて、お兄さんお2人は。
兼三:柔道のスタイルで言うと、力強さとか豪快なフィジカル的な強さを持っているのは長男ですね。次男のほうは才能というか、センス。技のキレにしても、やっぱりセンスがいいところではないですかね、柔道に関しては。自分の長所は、スタミナというか、持続してできたことでオリンピックのメダルが取れたのではないかなと思っています。みんなけっこう気を遣うところもあって、お互い兄弟のことを心配しているところがあるのですけども、やっぱり長男は面倒見がいいところですかね。次男は…いいところがあるのかなぁ(笑)。
広報スタッフ:性格的には皆さんは違うのですか。
佳央:そうですね。昔は違いがはっきりしていましたが、だんだん社会の荒波にもまれて…みんな何か解けて、最近は似てきたかなというのはありますね。次男は昔は負けん気が強くて気が荒かったのですが、今は全柔連に入って仕事をしていますから、そういうことだけではやっていけないので優しい面も出てきましたし。
行成:牙を抜かれましたね(笑)。
佳央:人のことも考えなければいけないのでそういう面も出てきて、年をとるにつれて似てきたかなと。兼三のほうは、昔はおっとりしていたのですが、やっぱりコーチという立場で選手に言わなければいけないことは言わなければいけないので、そういう面も出てきて、けっこう幅広い人間になってきたかなという感じがします。
広報スタッフ:ご両親のお話も出ましたけれども、柔道を続けていくことに対して何かご両親から言われたことで覚えていらっしゃることはありますか。
佳央:強制されたことがないんです。柔道に関しても叔父さんがいろいろ指導してくれていたのですが、両親のほうはそんなに「勝て、勝て」という気持ちではなかったですね。逆に自分たちのほうが「勝たなければいけない」と思っていたくらいで、自由にやらせてもらっていました。ですから言葉よりも、まず仕事をしながら自分たちを一生懸命育ててくれた親の苦労を見ているから、"言われなくてもやらんといかん"と、3人とも思っていました。何も言われなくてもしっかり考えて、先のことを見るようにはなりましたね。親が自分は楽をして子供にきついことをさせて頑張れと言うのでは、やっぱりできなかったと思いますよ。親がしっかり働いて自分たちを育ててくれたので、代表に1人しかなれない状況の中で、きつい練習を我慢してやれるぐらい、3人ともやめずにやってこられたのだと思いますね。
広報スタッフ:行成さんはどうですか。続けていくモチベーションになったものはありますか。
行成:長いこと柔道をやっていくにつれてどんどん兄が強くなっていくし、兄の背中を見て、ついていこう、追い越そうというお互いの競争の気持ちですね。どうせやるなら強くなろうと。兄も言いましたが、親が一生懸命働いていたし、いつも親代わりに僕らに言っていたのは兄なので今もこうやってよくしゃべるのですけど、「うちは金がないからおまえらも強くなれ」というのも小さい頃から僕らに言っていましたし、それを聞いて素直に、じゃあ強くなろう、強くなろうと一心に思っていました。まぁ、負けるのが嫌いだ、投げられたら悔しいという性格も自分にはあったと思いますが。
広報スタッフ:本当に言われた通りですね。
兼三:3人でやっていたので2人だけ道場に行って1人だけやめるというのもできないですし、1人でやめてもすることがなかったし、身近に遊び相手もいなかったですし。体格的には自分と次男が同じぐらいだったんですが、しょっちゅう投げられてなかなか勝てなくて、身近な目標があったので何とか投げてやろうとか、追いつこうとか、そういう気持ちが常にあって、やめずに続けられたのではないかなと思います。
広報スタッフ:階級によって柔道の性格も変わってくると思うのですが、どういう階級で出るとか、自分の柔道のスタイルが決まってくるのはどれくらいの年からですか。
行成:子供の頃は階級別ではなくて、学年別です。
佳央:階級は中学ぐらいからあったと思うんですが、小学校の時は身体の大きいのも小さいのも関係なくやっていました。3人の階級が分かれているというのは、本当に親のおかげですよね。これがなかったら3人が同時にオリンピックになんて出られなかったので、よく産み分けてくれたと思っています。