選手インタビュー

猪谷千春さん 猪谷千春さん スキー(アルペン)1952年オスロ 1956年コルチナ・ダンペッツォ 1960年スコーバレー

【5:オリンピックの意味とは?】
オスロオリンピックとトリノオリンピックの違い

高橋:最後にオリンピックについて少し教えていただきたいんですが。オスロオリンピックの帰りにハワイに寄られて、そのときにいろいろな体験をされて、「スキーなどのスポーツができる平和こそ、人類にとって何ものにも変えがたいものとしみじみ感じた」とお書きになっていらっしゃいますが。オスロオリンピックの時は日本もとても貧しくて、人々の生活も貧しく、ビザも出ないという状況だと思うんですが。今度、トリノオリンピックでは今日本はお金もあるし、人々も豊かな生活をしているし、ビザも問題なく出る。かなり極端な比較だと思うんですが、両者の冬季オリンピックを比べた時の違いについてと、また、今回のトリノに期待されること。こういった平和な時代に行われるオリンピックに期待されることを教えていただければと思うんですが。

猪谷:まあね、一番際立っているのはオスロのオリンピックの時はもうセキュリティなんてあって無いようなものなんだよね。却って終戦直後で非常に世界が平和だったわけよ。ところが今はもう檻の中に選手たちが住まなきゃならない状況。もう選手村全部フェンスで囲まれていて、そしてそれこそ銃を持った、セキュリティの人達が見守っているっていうか警備しているわけでしょう。これなんか本当に大きな違いだし、また、ある意味じゃ悲しむべき違いのものになっちゃったわけね。

高橋:平和になった社会なはずなのに。

猪谷:が、逆になってしまったわけだよね。だから、これなんかが、最たる違いじゃないかな。それからちょっと質問とは違うかもしれないけど。来年トリノでは僕がメダルを取って丁度50周年になるわけですよ。1956年だからね。だから、今IOCの委員としては最後の最後に1つ遣り残したことを叶えたいので、ところがそれ僕がじゃなくて、叶えさしてもらいたいわけよ。それは何かっていうと、来年のトリノの大会で日本のアルペンの選手の首にメダルを掛けてやること。これが遣り残した1つの仕事なのね。夏や何かいろんな人にあげているけどね、冬もいろんな人にあげているけれども、やっぱり日本のアルペンの選手にメダルを掛けてやりたい。質問の答えじゃないけれども。

オリンピックとナショナリズム

高橋:いえいえ。根本的な質問で漠然としているかも知れないですが、何故オリンピックをやるのか、オリンピックの社会的な意味は何ですかと聞かれたら、先ほどいろいろ平和のこととかありましたけれども、猪谷さんのご経験からオリンピックとは何ですかって聞かれた時に、どのようにお答えになりますか?

猪谷:やっぱりその一言に尽きるんじゃないかな。さっき言ったね。そうじゃなかったら世界選手権だけでいい訳ですから。

高橋:世界選手権とオリンピックの違いと言うのは。

猪谷:まず1つの違いはオリンピックの場合にはあまり国境と言うものを、結果的には出ちゃってるけれども、前に出さない、っていうのは、各国の人達がみんなスポーツを通して友達の環を大きくしていく、世界平和を進んでいくことだし。ま、世界選手権ともなるとかなりナショナリズムが前に出ますからね。出てきてもそれは構わないことだよね。

高橋:何かオリンピックもナショナリズムが前に出ているイメージがありますが…。

猪谷:うん、ある程度出ているけれども。たまたまねそれは、チームスポーツなんかは特に出るでしょう。これはしょうがないでしょう。後はメダルの数、メダルをいくつ取ったかなんて出てくるようになる。で、前々からオリンピックでもIOCでもいろいろ考えているんだけれども、そのナショナリズムをオリンピックから取るためにその国の国旗を上げるんじゃなくて五輪の旗をあげると、それから国歌じゃなくてオリンピック賛歌をそこでやると、いうように持っていければというのが今、理想として考えられていることだけど、やっぱり実現は難しいよね。そうなった時には本当に文字通りオリンピックが平和の祭典だと。

高橋:そうですね。オリンピックの旗の元で、国籍、国境、人種、そういうものを全部超えて。

猪谷:全て無い。

高橋:なるほどそうですね。オリンピックに関してオリンピアンの方達にこれまでインタビューさせていただいて、自分なりにオリンピックって何だろうと考えたときに、特に選手の方の目から見ると、オリンピックに出ることによって、自分が、例えば、日本人なら日本人というナショナルアイデンティティをもう一回再構築する。しかしながらそれと同時にそういったものを超えてさらにコスモポリタン、さっき猪谷さんおっしゃったコスモポリタンなアイデンティティ、新たなアイデンティティというのが出てくるんじゃないかと。そのコスモポリタンのアイデンティティというのが、今猪谷さんがおっしゃったようにオリンピックの旗の元でそれぞれの国旗、国歌が無く、一つになれるという、そういう国境をこえた公共の価値観をもち、そのもとで皆が一つになれる。それは選手だけじゃなくて今衛星放送やインターネットもあって、全世界中の人達が見ることが出来る時代ですよね。そういったメディアを通してオリンピックを見ることによって、その見ている視聴者、参加している、実際に参加しているわけではないですけど、参加している気になっている視聴者たちもオリンピックの旗の元に一つになれる、それがオリンピックの社会的な意味ではないかなって、私自身思ったんですけれども。

猪谷:それはその通り、正にその通りでしょう。

高橋:猪谷さんに今日お目にかかってそれであっていたのかなって。

猪谷:それはぴったりで。

高橋:思いました。

猪谷:やっぱり、だから僕なんかはスポーツの数は多ければ多いほどいいと思うし。だからと言ってあんまり巨大になっちゃ困るんだけどね。だから今度も2つスポーツが落っこって。

高橋:そうですね。

猪谷:この間あと2つ入らなかったのは非常に残念に思っているわけだけれども。まあ、できるだけスポーツの数が多くなればそれだけファンも巻き込んでね。オリンピックのためにプラスになるわけだからね。

オリンピックと商業主義

高橋:あと、商業主義が進んできてしまうと、世界規模において不均衡な側面というのが出てきたりしますよね。

猪谷:それもあるけど、また、良いことも考えて、頭に入れてもらわないとね。

高橋:良いことというのは?

猪谷:というのはやはりこれだけスポンサーがついて潤沢なお金が無かったらオリンピックは開けない。そうするとオリンピックが開けなかったらば、オリンピックチャンピオンが生まれない。オリンピックが開けなかったらもうオリンピック運動は途絶えてしまう。だから僕は何時もそのコマーシャルリズムに関してはね。人間に例えればコレステロールと同じだと思うんだよね。人間はコレステロール無しでは生きていけない。たまたま悪玉が蔓延しちゃうとこれは不健康の代名詞になってしまう。だけれどもコレステロールが無ければ生きていけない。スポーツの方も結局善玉はそのオリンピックができる、選手ができる、世界平和にも繋がるね、そういう行事ができる。それからまた、今、202の国と地域にNOCがあるわけだから、そこらの活動によって、今世界の隅々までスポーツ文化っていうのが浸透してきているわけで。これもコマーシャライゼーションでお金があるからそれができるわけでしょうね。だけども、そのお金を使ってそれが賄賂だとかあるいは個人のために使用するとかね。やはりコマーシャライゼーションでできたお金はスポーツのために使うこと。それが正等に行われれば、これはもうコマーシャライゼーション無くてはならない、新しい社会になってるわけね。変わってきた社会においてはコマーシャライゼーションというのは必要不可欠じゃないかということを是非皆さんに理解して欲しい。

高橋:はい。今日はどうもありがとうございました。

~猪谷千春さんインタビュー 完~
(編集 高橋利枝)

ゲストプロフィール

猪谷千春さん
猪谷 千春(いがや ちはる)
1931年(昭和6年)5月20日生まれ(74歳)。北海道出身。日本のスキー界の草分けである父母のもと、2歳からスキーを履いて英才教育を受ける。小学生時代から神童と称せられ、オリンピックは1952年オスロで回転11位、1956年コルチナ・ダンペッツォで銀メダルを獲得。留学していた米国・ダートマス大学を卒業するとスキー界とは縁を切ってAIU保険会社に入社、アメリカンホーム保険会社代表取締役、AIU保険会社名誉会長などを務める。スポーツ界では1977年に国際スキー連盟の委員に名を連ねると、国際オリンピック委員会委員、日本オリンピック委員会理事、日本オリンピアンズ協会副会長、日本オリンピック・アカデミー会長など様々な要職を歴任。2005年7月には国際オリンピック委員会の副会長に就任した。
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