選手インタビュー

中島寛さんインタビュー

中島寛さん 中島寛さん フェンシング 1972年ミュンヘン

【ミュンヘンオリンピックへ】

高橋:フェンシングには個人と団体があるんですか?

中島:あります。個人は1対1です。同じ形式の試合なんですけど、団体戦は4人で戦うわけです。ですから4×4=16試合やって、過半数以上とると勝ちです。今は3人になったんですけどね。昔、我々のときは4人だったんです。

高橋:厳しいですね。

中島:はい。だから、8-8だと、『被突き数』って、突かれた数が少ないと勝ち。9点取れば9-6になりますから、必然的に勝ち。だから過半数取ると勝ちなんです。団体戦の方式っていうのはね。

高橋:ミュンヘンオリンピックでは団体フルーレで6位入賞ということですよね。

中島:はい。オリンピックの6位っていうのもね、「なんだよ6位かよ、たいしたことないじゃん」って一般に言われると思うんですけれど、当時は大変だったんですよ。ヨーロッパでは、フェンシングは全て国技みたいなもんですよね。

高橋:そうですよね。

中島:日本の剣道のように行われているわけですよ。そこで髪の毛の黒いやつが、何であそこに入ってやってるんだっていう、好奇の眼で見られましたからね。

高橋:団体戦はどのようにやるのですか?

中島:最初グループ分けをするわけですよ。そのグループで上位何チームかが決勝トーナメントに進むっていうサッカーなんかと同じ方式でやるんですよ。当時のソ連は、もうめちゃくちゃ強かったです。世界ナンバーワン。日本は、ソ連、アメリカが同じグループで。アメリカには大体勝てる実力があったんですよ。

高橋:そうなんですか。

中島:ソ連は当時、敵なしっていうかね、どうにもならないくらい強かった。というのは、今ロシアとかウクライナとかベラルーシとか、単独で来ても優勝するような国なんですよね。それが当時全部集まってたわけですよ。だから勝ちようがないですよ。
ところが、日本は勝ったんです。

高橋:すごいですね。

中島:1回戦でね。ソ連とアメリカをやっつけたんですよ。監督は「これは優勝だ」と。「最強チームに勝ったんだから優勝だ」って言ったんですけど、組み合わせがちょっと悪くてね、6位になってしまったんです。さっきお話に出た、オリンピックは世界選手権とは全然違うっていうのは、試合そのものでは感じなかったですね。

高橋:感じなかったんですか?

中島:まったく感じませんでした。ただ、オリンピックって感じたのは、開会式なんですよ。例えば19時から開会式が始まるっていうと、選手はお昼頃に集合させられるんですよ。あれほど嫌なものはないですよ。

高橋:嫌なんですか?(笑)

中島:だって、19時から始まるのに、4、5時間前ですよ? カンカン照りのところで待たされるんですよ、あの赤いブレザーを着て。

高橋:(笑)

中島:暑いところで。もう最悪ですよあれ。でも。やっぱり開会式で行進して、グラウンドに立った瞬間は感動しましたね。上から声が聞こえてくるのかなと思ってたんですがグラウンドの下の方からウワーって声が、地鳴りのように反響するんですよね。ミュンヘンは半ドーム式みたいになってましたからね。そのせいもあるのかどうかわからないですけど。思わず僕、下を見ましたもんね。

高橋:そうなんですか。

中島:はい。何ていうのかな、「これがオリンピックの雰囲気なのかな」っていう感じはありました。試合になったら、世界選手権もオリンピックも、僕は同じ感覚で戦ってましたけどね。

高橋:日本からも応援の方は結構いらしてたんですか?開会式とか、試合に。

中島:試合はゼロです。フェンシングは、孤独な戦いをしてました。開会式の時は、日本人の方は、いらっしゃったのかもしれませんけど、そこまでは余裕がなかったっていうか感動してね。あと疲れが半分あって。(笑)

高橋:そうすると、オリンピックに参加して初めて知ったことや、感じたことはやはり開会式ですか?

中島:そうですね。僕は昔から物事に感動するタイプじゃないなって思ってたんですけど、あの感動はちょっと忘れられないし、これからオリンピックに行く人たちには是非味わって欲しい事柄ではないかな。

高橋:ご自身の人生を振り返られた時に、オリンピックに出られたってことが、すごく重要だったんでしょうか。

中島:スポーツマンにとっては、やっぱり最高の目標である大会ではあると思います。是非その舞台で戦って欲しいなという、希望はありますけれども。

高橋:オリンピックが自分にもたらしてくれたものとか、オリンピックに出たことによって考え方が違ってきたりとかはありましたか?

中島:僕はさっきもお話したんですが、試合そのものは世界選手権もオリンピックも全く同じような感覚で戦いました。メダルでも取れば、また別だったんでしょうけど。人生変わるとかっていう話をよく聞きますし。

高橋:ただ、やっぱりフェンシングという競技は、ヨーロッパが中心ですね。

中島:そうですね、だから外国の選手から「どうして日本ってこんなに頑張るの」っていうようなのは聞かれましたよね。日本のアマチュアスポーツマンが経済的にもいろんな面で恵まれてない、援助も少ない。そういうことを外国の選手って結構知ってるんですよ。

高橋:そうなんですか。

中島:だからそういった中で「どうして日本人ってこんな頑張れるのかな」という好奇な眼で見られてるってことはありましたね。

高橋:それは、どうして頑張れるんですか。

中島:やっぱり負けたくないとか、試合場に立ったら裕福も貧乏もない。競技者として技を競って、勝つことによって存在価値とかね、そういうものが生まれてくるだろうし。僕が今まで競技を続けてきたのは、唯一、負けるのが好きじゃなかったんですよ。負けてヘラヘラしてられないなっていう感覚は、競技をしている間はいつも持っていたんですよね。

高橋:皆さんにお伺いしているんですが、オリンピックに出られた時というのは、何のために戦うのでしょうか。例えば日本のため、監督やコーチや仲間のため、家族あるいは自分自身のためなどありますが。

中島:戦っている最中はそんなこと一切考えない。家族のことも、先生のことも、同じフェンサー仲間のことも、何も考えないですね。結果的には感謝しますよ。感謝しますけれども、戦ってる最中はそんな事考えることもないし、戦いに入るときも考えなかったですね。

高橋:それじゃ試合の前も、あんまりそういうことは考えないんですね。

中島:前も考えたことない。全く考えないですね。

高橋:逆に日本代表としての、国のためにっていうプレッシャーはなかったんですか?

中島:僕は一切なかったですね。

高橋:そうですか。

中島:あまりにも無責任ですかね。(笑) 結果的にはありますよ。フェンシングで日本が6位になったってことは、かなり評価された成績だったんですけどもね。それで満足なんてことは一切なかったですよ。

高橋:じゃあ、あまりオリンピックに日本代表として行くっていう感じではなかったんですね。

中島:それはありましたよ。ただ、それが即お国のためとかっていうのには結びつかなくて。やっぱり日の丸の重さとか、日本代表として、頑張らなきゃいけないという誇りはありましたけど、プレッシャーは一切なかったです。

高橋:そうなんですか。

中島:誇りには感じてました。日の丸をつけて戦うわけですからね。やっぱり日の丸に対する誇りはあって、戦いました。

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