選手インタビュー

鈴木大地さん 森田智己さんインタビュー

鈴木大地さん 森田智己さん 鈴木大地さん 競技(背泳ぎ) 1984年ロサンゼルス 1988年ソウル 森田智己さん 競技(背泳ぎ) 2004年アテネ

【鈴木大地と森田智己の出会い】

高橋:お二人、まず競技を始めたきっかけというのをお話しいただきたいのですが。

鈴木:僕は始めたのが7歳です。けっこう遅くて、しかも体が弱かったから始めたということで、体が強かったら多分水泳はやっていなかったと思います。弱くてよかったなと思いますけれども、それがきっかけで始めて、翌々年にはもう選手コースに入って朝練習などもやるようになって。小学校くらいからずっと選手コースでやってきました。7歳で始めて17歳で、始めて10年でオリンピックに行きました。10年かかったけれど、高校3年生で初めて行って、そのあとのオリンピックで金メダルを取った。2回しか出ていなくて、3回目も目指していたけど、出られなかった(笑)。金メダルを取って燃え尽きてしまったのもあるし、いろいろルールが変わったり、大学院に行って環境も変わって、やらなければいけないことがたくさんできてきて休養もしたりして。自分の体力を復活させるのも大変じゃないですか、半年も1年も休んだら。それにプラスして、ルールが二つ三つ変わって、もう対応できなかったんですね。ターンが変わったり、スタートが変わったり、いろいろ自分の中でも大きく変わって、それが大きな理由になって3回目のオリンピックには出られなかった。
オリンピックとしては、最初は参加するだけのオリンピック。2回目はメダルを取りに行ったオリンピックで、3回目は出られなかった。いろいろなオリンピックを体験できて、選手としてはいろいろな感情を味わえて幸せだったなと思いますけどね。どうかな、森田君は?

森田:僕は親が泳げなかったので、子供が泳げないと、もし事故になっても親が助けられないからということでベビースイミングから始めたんですけど。

高橋:それは何歳ですか。

森田:2歳から。

鈴木:2歳か。早いね。

森田:それで、僕がまだ選手コースに上がる前ですね、セントラルスポーツのイベントか何かで、大地さんがオリンピックでメダルを取ったというので…。

鈴木:仙台だよね? そういえば、行ったね。

森田:でも、その時は会ってはいないんですよ、僕は。

鈴木:何歳だった、その時?

森田:まだ、小学生にもなってないですね。下敷きをもらったんですよ(笑)。それだけはすごく覚えていて。ああ、凄いなあと思ったんです。選手コースに入ってからも水泳をずっとやってきたんですけど、僕が生で初めて大地さんに会ったのは、高校生の時かな。

鈴木:筑波で会ったのはいつ? あれはもう大学生だった?

森田:高3くらいですか。その前に何か1回、講演に来たんですよ、大地さんが。

鈴木:行ったね。いたの?

森田:はい。いちばん前にいて(笑)。

鈴木:知らなかったな、それは。

森田:それで、宮城では一応名前が売れた選手で(笑)、代表で質問をしろと言われたんですよ。それで何を聞こうかなと思って、「オリンピック前に何か特別なことはしたんですか」と聞いたんです。そうしたら大地さんは、「お参りにたくさん行った」と言っていて、じゃあ、僕もオリンピックの前になったらお参りとか行ったほうがいいのかなと思っていました(笑)。それから筑波で会ったり、試合会場で会ったり。僕は何回も、何回も、あの年に生まれていたら僕はどうなっていたかなと…。

高橋:あの年というのは?

森田:ソウルの頃に大地さんと同じ年齢ぐらいだったら、今より潜れるじゃないですか。僕はバサロが得意だったので、潜っていたら何秒出たかなと(笑)。今の僕のベストだったら優勝できるのになとか、そういうのをよく考えさせられたというか。やはり鈴木大地と鈴木陽二のつながりがそのまま僕に当てはめられているじゃないですか、同じバック(背泳)というのもあって、何かと二番手的な言われ方をするんですよ。それはしょうがない。自分でもそれは分かっているんだけど、やっぱり男としてやってられない部分はありますよね。

鈴木:それはそう思うけどね。

森田:何とかしたいな、何とかしたいなと。

鈴木:超えてくれよ、じゃあ。

森田:だから本当、タイムはね…。

鈴木:もみあげとタイムは完全に超えているよ(笑)。

森田:タイムは超えているんです。あとは金メダルなんですよね。

鈴木:僕は、高校生の時に話したのは覚えていなかったけど、その頃もう速かったんだよね。東北にこんなやつがいるなんていう話を陽二コーチとしたのは覚えているんだけど、それが順調に伸びて、オリンピックに行って、メダルまで取って。正直そこまで行くとは思わなかったけど、よく頑張っていると思う。
時代時代によって人間の考えることの大きさというのがあって、我々の時代なんて、過去十何年オリンピックでメダルなんか取っている日本人はいなかったわけです。僕が「メダル取る」なんて言ったら、"頭おかしいんじゃないの"というぐらいの感じだった。しかもまだ、バサロキックを何メートルもやるなんて「ばかじゃないの」と言われていたから。そういう時代に30メートル潜っただけで、僕は満足していたね(笑)。今は、そういう過去があって、それは速いということも分かっていて、なおかつそういうのを世界で使う人がたくさんいて、それを分かったうえでやれるというのは、それはそれで幸せなことじゃないですか。それは記録だったら超えなきゃいけないと思うし、実際超えているんだけど、だから僕たちを踏み台にして、どんどん大きく成長していかなきゃいけない。そういうふうに当然していると思うし、心配はしていないけど。
ただ、陽二コーチもそうだと思うけれど、全く僕たちがやったことをそのままやっても、絶対に今の時代には通用しないし、当然新しいこと、もっと凄いことをやらせていると思うんだよね。それをやっていれば普通に超えてくるよね、間違いなく。ただ、世界と戦うとなると、やはり世界で誰もやったことのないような練習をやらないとチャンピオンになれないんだよね。

森田:そうですね。

鈴木:だから、どんな新しいものを入れたり、何を自分のオリジナリティにするのかという問題だよね。その辺が、陽二コーチも考えているだろうけど、自分なりにもやはり感性鋭くして見付けていくべきだろうね。でも、けっこう研究熱心らしいね(笑)。

森田:そうですね。けっこうビデオは見ますね。大地さんのビデオも見たし、シドニーオリンピックは何回も見ました。

鈴木:研究所のビデオコレクションっていうのはすごいでしょう。

森田:そうですね。シドニーは、バックのところだけ映像がめっちゃ悪いんですよ(笑)。大地さんのは、僕はもう研究所から2年ぐらい借りたままでして…。そろそろ返さなきゃなと思って、ついこの間、棚に戻しておいたんですけど。

鈴木:そういう意味では、当時、我々が被験者になっていろいろなデータを取ったり取られたりしながら随分蓄積があって、ビデオにしても蓄積があって、そういうものを熱心に研究することによって、肥やしにできるわけじゃない?鈴木コーチの話の中にも、まず理想というものがあって、それから逸脱したら修正をしていって、さらにそこからどうしたらいいかというのを考え出していくと思うんだけど、だから超えて当然と言えば当然。問題は、どういう超え方をするのかというところだよね。凄い超え方を考えておけば、失敗しても超えることはできる。だから、大きく目標を持つことが大事なんじゃないかな。

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