選手インタビュー

河野孝典さんインタビュー

河野孝典さん 河野孝典さん スキー(ノルディック複合) 1992年アルベールビル 1994年リレハンメル

【オリンピック後の新たな人生】

高橋:あなたの人生にとってオリンピックは重要ですか?

河野:重要です。

高橋:重要ですよね。オリンピックはあなたに何をもたらしてくれますか?

河野:そうですね。夢と反省と。

高橋:夢と反省。夢は叶いましたよね?

河野:はい。

高橋:反省は?

河野:まだ叶ってない部分もあります。指導者としては成功してないから。もう指導者として一度体験しましたけど、そこではメダルも獲れなかったし、成績もあまり良くなかった。

高橋:少しほろ苦い感じもあるんでしょうか、オリンピックに対して。話が少し戻りますが、リレハンメルの次の年に引退されたんですよね?まだ26歳で。引退を決められた時はどういうお気持ちだったんですか?

河野:もう、シーズン前から辞めようと思ってたんですよ。大学を卒業してスキーを続ける時に、オリンピックと世界選手権が交互にあるとわかっていて、95年までは大きな大会が毎年続くということで、そこまでを一つの区切りに続けてみようと。で、その間に自分でも予想しなかったくらいの良い結果が出て、続ける必要もないかなあと。一つには、結構ハードな練習もしたしスケジュールも大変なんですよね。冬場なんか移動と競技の繰り返しで、体調もあまりよくなかった部分もあったから、もうこれで終わりにしようというのがありましたし、成績の方では全然不満な点はありませんでしたから。自分は、こんなに成績が良くて幸せな選手はいないだろうと思いましたし。

高橋:さらにもっと、とは思わなかったんですか?もう十分やったぞと。では、引退を決められた時は、苦しいとかそういうことではなかった?

河野:違いますね。満足でした。

高橋:その後の人生とか生活に不安というのはなかったんですか?

河野:その時は多少ありましたけど、すぐに次の人生が待ってましたから。野沢温泉の村役場に入って、ドイツに留学させてもらって、帰って来て1年仕事してから辞めました。ノルウェーに行った時に言葉ができなかったんですけど、ホームステイした時から英語ができるようになってきて、言葉って面白いなと思って。それで、スキーに大事なドイツ語を勉強してみてもいいかなぁと思ったんです。

高橋:引退したらすぐにコーチになろうと思っていたのですか?

河野:思ってませんでした。

高橋:えっ、思ってないんですか。漠然とドイツ語を勉強したいという感じだったんですか?コーチになろうと思ったのはいつ頃ですか?

河野:ドイツに行った時、一緒にやっていたドイツの選手が辞めていて、コーチの学校に行っていたんですよ。僕が最初の半年間語学学校に通っていた時に、その近くで卒業試験があったということで会いに来てくれて、学校の説明をしてくれたんです。それで一度学校に行ってみたらどうだって言われて、語学学校の休みの期間にその時にケルンの学校に行ってみたんですよ。そしたらたまたま卒業式で校長先生がいて、スキー連盟のお偉いさんも、それからスキー関係の教育担当の人もいて、みんなと話したら推薦してやるから願書だけ書けっていう話になって。スキーだけじゃなくてドイツのナショナルチームの指導者とかの学校で、ドイツのコーチのライセンスの中では一番上です。

高橋:ドイツを選ばれた理由はあるんですか?ノルウェーは考えなかった?

河野:ドイツ語が結構重要なんですよ。スキー界を回しているのがドイツ語圏なんです。伝統国は北の方にありますけど、実際に国際スキー連盟の事務局があるのはスイスのドイツ語圏なんですよ。アルペンで言うとスイス、オーストリア、イタリア辺りが強いですし、ジャンプはオーストリアが強かったりで、ドイツ語圏が幅をきかしているんです。僕らのミーティングはドイツ語でやるんですよ。英語も多いですけど、白熱すると何か言ってくるのはドイツ語圏の連中だから、コミュニケーションはドイツ語になります。

高橋:ドイツの生活は楽しかったですか。

河野:はい。楽しかったですね。途中で嫁さんが来て、子供も生まれました。

高橋:あ、ドイツでご家族を作っていたということならば、学校だけでなくて、奥様とかお子さんを通してまたそのドイツの生活というかコミュニティに入っていくってこともありましたか。

河野:住んでいた所にスキークラブがあって、そこでジャンプの指導をしていたんですよ。子供たちが5歳から中学生くらいまで10人くらいいて、コーチも僕の他にもう一人いて。だから僕はコミュニティがあったんですよ。スキークラブの皆さん、ジャンプをやっている子供たち、子供たちのご両親。そこに家族を連れて行ったりしましたし。

高橋:じゃ、もうドイツの人たちの中に溶け込んでいたという感じですね。例えば、日本人の河野さんが教えられるということで、ドイツ人の中に偏見みたいなものはなかったんですか?

河野:特になかったし、そこは、日本で言うと雪無し県みたいな感じなんですよ。スキーはそれほど強くはないわけですよね。完全にボランティアで、もう一人のハイデルベルク大学の学生と一緒に、お互いに教え方を勉強しながらやっているっていう感じでした。

高橋:ボランティだけれども、自分の勉強にもなるという。

河野:はい。周りもいい人ばかりで、何回もご飯に誘ってもらったり飲みに行こうよって言われて出かけたり。

高橋:なるほど。ドイツのその時のお仲間で、もう10年近く経ちますがまだ連絡を取っている人はいますか?

河野:毎年連絡を取っているのは一人ですね。その時に教えていた子で、僕が日本に帰って来た夏にホームステイに来たんですよ。去年、ジャンプのスーツを作る時にたまたまそこの町を通ったので電話したら会いに来てくれて、一緒に酒を飲みました。当時は中学生だったから、もちろんお酒なんか飲んだことはなかったんですけどね。

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