選手インタビュー

横山謙三さんインタビュー

横山謙三さん 横山謙三さん サッカー 1964年東京 1968年メキシコシティー

【浦和レッズというチーム…アジアから世界へ】

広報スタッフ:Jリーグが始まってプロ化された、浦和レッズというチームのお話をちょっとお聞きしたいんですけれども、浦和レッズでの横山さんのお仕事というのは、監督をされてた時代もありましたが他にはどのようなことをされて来ましたか?

横山:監督もしましたし、それから強化の担当もしましたし、ここ4~5年は総合的に営業活動とか広報とかいろんなことをしてきましたので、すべてやってきたかなっていう感じですね。特にこの4~5年っていうのは、自分で今までやったことないようなことがたくさんあったんで、すごく勉強になって、一番楽しい時期でしたね。チームはどんどんよくなるし、お客さんはどんどん増えるしっていう、こんなに素晴らしいことを味わわせていただいたっていうことで、非常に感謝しているところです。

広報スタッフ:本当に、ご苦労された時代もあったと思いますけれども、着実にビッグクラブになってきたという気がします。

横山:そうですね。チームにとって一番大きいのは、チームを支えてくれているサポーター、ファンが、すごく熱い思いでレッズを見てくださっているということが非常に大きな基盤にあって、新しく犬飼(基昭)という社長が来て、非常にプロチームにふさわしい経営をしたということで、いろんなことがプラスになりました。ここ4~5年で経営的にも右肩上がりですし、成績も、応援してくれる人もどんどん右肩上がりということで、非常に今、素晴らしい成果を挙げている時期ですね。

広報スタッフ:本当にその原動力と言えるのは、ファンの存在であるし、そのファンや地域の方々とうまく連携を取れたということでしょうか?

横山:そうですね。うまく連携を取れたというか、お互いの意思疎通が出来上がってきてるというか、これは急に出来上がったものじゃないと思うんですよね、前からそういうものが少しずつ出来上がって、チームが低迷の時期にも応援してくださる方は日本一で、あとはチームが日本一になるだけっていう状態だった。そこに、新しく来た社長の手腕で、クラブはチームありきという原点に戻って大きな力を注いだということと、それから選手のトレーニングについて、トレーニングの場を整備し、トレーニングをさせる監督を選び、それからファンサービスを重視し、自分たちの考え方をメディアに正確に伝えていったということが大きかったと思うんですよね。そういうチームの方針、クラブの方針というものがあらゆる方向に、隠すところなく正確に伝わったということが、皆さんからよく理解していただけた理由なんじゃないかなと思いますね。

広報スタッフ:身近に感じるのかもしれないですね、ファンから見れば非常にオープンに感じるというか。

横山:ああ、そうかもしれないですね。

広報スタッフ:成績も上がっており、練習場にファンも楽しめるクラブハウスができたり、昨年はレッズランドという総合スポーツ施設ができたりということで、こういう地域の方々へ向けての活動を重視されているんですね。

横山:これも社長が言うように、僕らはお金儲けが目的じゃなく、もし儲かればそれは皆さんに還元するものであってね、当たり前のことだと考えてるわけですね。ですから少しでも皆さんに喜んでいただけるのはどういうことなのかということで、レッズランドもそういう方向ですよね。ですから、あそこが特別っていうことじゃなくて、少しでもそういう方向に使えるお金があれば、皆さんに喜んでいただけるものをやっていこうと。それが将来にわたって、スポーツを通じて豊かな生活というものに貢献できればありがたいなと。でもそれは、僕らが皆さんからいただいた、チームに貢献していただいている度合いからすればほんのわずかなものでしかないんですけどもね、でもわずかなものでも皆さんにわかっていただくというか、少しずつお返ししたいという思いです。またそれが、豊かさを生んでくれればいいなというふうに思ってるわけですね。

広報スタッフ:なにか、浦和レッズとしての今後の展望というようなものはありますか?

横山:浦和レッズは日本では一番ビッグクラブになったと思うんですが、今年の天皇杯を取ったということで、来年はアジアのチャンピオンズリーグに出ていきます。これからは「アジアから世界へ」という目標を立てて、さらに難しい問題もたくさん出てきますが、挑戦していかなければいけませんね。難しいというのは、アジアそのものが広いということもありますし、ヨーロッパよりも文化の違いとか宗教の違い、生活水準も随分違うので、なかなか一本化して何かをやるのが非常に難しい地域だと思うんですね。アジアのサッカーそのものをこれからどう考えていくのかというのは非常に難しい問題で、これを日本がリーダーとなって模索しないといけないと思うんです。いろんな形を試しながら、アジアに最も良いやり方をどう見出すかというのが、これから日本協会としてもJリーグとしても大変な仕事になっていくんじゃないかなと思いますね。そこを突破して世界へ、ということになりますから。そのためには、本当は極東地域のいろんな普及強化が日本と同じように進んでくれて、そこが土台になって、対ヨーロッパという形になっていくと良いと思うんですけどね、そういう面でこれから日本や韓国がアジアのリーダーシップを取って、アジアのサッカーをどう考えるかというのが大事なことになっていくと思いますね。

広報スタッフ:それが日本のサッカーのすべきところというか、今後やるべきこととであると。

横山:そこを通り過ぎないと、本当にヨーロッパと対等には戦えないんでね。

広報スタッフ:大きな話もお聞きできたところで、最後に横山さんにとってオリンピックとは一言で言うと何でしょうか? サッカー競技ですと、ワールドカップというものがあるだけに少し他の競技とは捉え方が違うとは思いますが。

横山:そうなんですよね、だから僕らはオリンピックに出場してはいるんだけど、いつもオリンピックの上にワールドカップっていうものがあるんだって感じてたので、オリンピックは簡単に言うと、サッカーでは二線級みたいな感じがするんですよね。かといってオリンピックを軽視しているということではないんです。オリンピックが自分にとってなんだったんだろうと考えると、やっぱりいろんな面でサッカーを作り上げてくれた経験というのは、オリンピックが一番自分にとっては大きかったんでね。二つのオリンピックを通り過ぎたあとの自分のサッカーは、ものすごく変わりました。本当に身につけられたものは、あのオリンピックのための何年間かがあったからだろうと思うんですよ。人生経験もあそこで随分積めましたし。メキシコの時は、今よく若い人が言う「楽しみながら」っていうのがなんとなくわかる、そういう境地に入っていけましたよね。それが選手としてもオリンピックのあとに生かされました。メキシコオリンピックのあとの方が、自分で言うのもおかしいですけど選手としては遥かに、すべての面で上達したって言えますね。

広報スタッフ:長時間どうもありがとうございました。

~横山謙三さんインタビュー 完~
(編集:広報スタッフ)

ゲストプロフィール

横山兼三さん
横山 謙三(よこやま けんぞう)
1943年1月21日生まれ。埼玉県出身。日本オリンピアンズ協会理事、浦和レッドダイヤモンズ取締役、埼玉県サッカー協会専務理事。浦和市の常盤小学校入学時からサッカーに親しみ、高校3年時に今で言うユース代表チームに選出。1964年の東京オリンピック及び1968年メキシコシティオリンピックに出場し、メキシコシティ大会では銅メダルを獲得。三菱重工(現浦和レッズ)で選手として活躍後、1976年から監督を務め、1988年以降は日本代表の監督及び総監督、浦和レッズ監督などを歴任。浦和レッズでは強化担当やゼネラルマネジャーを務めた後、地域活動の強化に尽力した。
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